【興味深い「カントリーミュジック」NO.1の補足動画編】「テイラー・スウィフト」さんもカントリー、日本では知られていない魅力と起源!シンプルライフ ブログ

バーボンウィスキー/Whiskyとアイリッシュウィスキー/Whiskeyの「綴り」が違う理由!
カントリーといえば、もう「バーボンウィスキー」です。
書いちゃいますが、「ジャックダニエル」、バーボンではないと言う意見もありますが。
またアイリッシュウィスキーの直球ウィスキーも良いです。
バーボンウィスキー!
バーボンウィスキー!
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ケンタッキー州ジョージタウンの創設者としても有名なエライジャ・クレイというアメリカ合衆国のバプテスト派の牧師が、ケンタッキー州バーボン郡ジョージタウンで1789年/合衆国の発足の年、にウイスキーの蒸留所を建設して最初に製造したもので、アメリカ独立戦争の際にアメリカ側に味方したフランスの「ブルボン朝」に由来しているバーボン郡の地名から、「コーンウィスキー」全体をバーボンウィスキーと呼ぶようになったようです。
出典参照:ウィキペディア
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現在でも80%以上のトウモロコシを含むものは、「コーン・ウイスキー」と呼ばれ法律で区別されています。
特徴は、内側を焼き焦がしたホワイトオークの樽の香りですが、クレイグ牧師が樽を置いていた鶏小屋が火事に遭ってしまい偶然にできたという説、最初から内側が焦げていた樽を偶然使用したのではという説、あるいは魚が詰めてあった樽の生臭さを消すために仕方なく内側を焦がしたのではという説などさまざまあるようですが何れにしても樽が焦げていて良かったですね w 。
アイリッシュウィスキー
アイリッシュウィスキーは、蒸留回数が多いために滑らかな味わいに仕上がり、モルティングする時に焚くのにビートを使用しないので、スモーキーフレーバー/土煙の臭いが無く、木炭や木材で原料の穀物が持つ芳醇な香りが引き出され、あの特徴のあるアイリッシュウィスキーが出来るようです。
アイリッシュウィスキーも、一時世界シェアの60%をしめていた時があったのですが、アメリカの禁酒法とアイルランド自由国の独立によりイングランドとその植民地から締め出されたこと、第2次世界対戦で中立を保ったことにより、戦場のアメリカ兵にスコッチ・ウィスキーが配給されたことなどにより主要な輸出国のアメリカでスコッチ・ウィスキーが優位になったようです。
そんな中、シャノン空港のバーテンダーが空港の利用者に「アイリッシュ・コーヒー」を考案して出したところ、好評で米国の新聞記者がアメリカのバーでアイリッシュ・コーヒーを作らせたことから、また世界的に広まったというのも面白いです。
出典参照:ウィキペディア
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因みに、スコッチ・ウイスキーをベースにすると「ゲーリック・コーヒー」に名称が変わるらしい。
ゲール語/古アイルランド語
ゲール語/ウィキペディア参考・抜粋。
インド・ヨーロッパ語族ケルト語派に属する言語で古くはゴイデル語 (Goidelic) ともいわれています。古アイルランド語でゲール語の話者を指す Goidel に由来。アイルランド語では Gaeilge、 スコットランド・ゲール語では Gàidhlig、マン島語では Gaelg。ウィスキーの語源もゲール語なんですね!/ウィキペディア参考・抜粋。「命の水」を意味するアイルランド語のuisce beatha/イシュケ・バーハに由来。
ゲール語で「健康の水」を意味するooshk-‘a-paiと呼ばれていたものがラテン語で「命の水」を意味するuisge-‘a-baghという言葉で呼ばれるようになり、uisge-‘a-baghがアイルランド語のuisce beathadhに変化したとされ、1172年のヘンリー2世によるアイルランド遠征の時、アイルランド人が愛飲していた蒸留酒はイングランド兵によってushkyと誤って伝えられ、その言葉が英語のwhiskeyに転訛。
アイルランド国内でも、whiskyとwhiskeyの両方の表記が使われていたようです。
一説には、本来アイルランドでもwhiskyと綴られていたが、19世紀になってダブリンの蒸留所が品質を宣伝するためにeの一字を入れて差別化したところ、地方の蒸留所もこれに続いたために、アイリッシュ・ウイスキー全体が「whiskey」と綴られるようになったとされています。
アイルランドではウイスキーは、「水」を意味するuisceの単語で短縮されて呼ばれ、アイルランド語には酒類、特にウイスキーを指してしばしば「Craythur」という言葉が使われています。
出典参照:ウィキペディア
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「ウィスキー/Whisky」と「アイリッシュウィスキー/Whiskey」の綴りが違う理由、面白いですね!
「Celtic Woman」のアイリッシュ・トラッド曲。
Celtic Woman / Chloë Agnew – ”Níl Sé’n Lá” & ”Danny Boy”
「ボブディラン」さん周辺!
「ボブディラン」さんについてはあまり詳しくはないのですが、アイリッシュ・ケルト系音楽に興味をもっていたとは知りませんでした。
彼は「世代の代弁者」と崇められたり、メッセージソングやプロテストソングの旗手と評されるようなことを迷惑に感じていたようで、同世代については「ほとんど共通するものも無いし知らない」と述べ、自分の詩が勝手に解釈され、運動の象徴として扱われることに辟易していると明かし、自身の関心事は「平凡な家庭を築く」「自分の子供の少年野球と誕生日パーティー」と述べている点など興味深いです。
出典参照:ウィキペディア
また、「現行の音楽をすべて忘れて、ジョン・キーツやメルヴィルを読んだり、ウディ・ガスリー、ロバート・ジョンソンを聴くべし」、と後進のアーティストに提言しています。
「ウディ・ガスリー」さんといえば、「This land is your land/わが祖国」が有名ですが、このメロディーは1970年にカントリー殿堂入りしているカントリー ・ブルーグラスの「ザ・カーター・ファミリー」によって歌われ、最もよく知られたゴスペル「世界が燃える時」に基づいています。
映画「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」は、第49回アカデミー賞撮影賞・編曲賞受賞作品受賞しています。
「Woody Guthrie-This Land Is Your Land/わが祖国」
日本ではフォークソングのブームの時に、「PPM/ピーター・ポール・アンド・マリー」さんが、歌っていたので聴いたことのある方も多いでしょう。
息子さんの「アーロ・ガスリー」さんも有名ですね。
「Arlo Guthrie & Johnny Cash – Alice’s Restaurant」
ウッディ・ガスリーさんが、「This land is your land/わが祖国」で参考にしたのが、カントリー殿堂入りしているカントリー ・ブルーグラスの「ザ・カーター・ファミリー」です。
アイリッシュ・ケルト系の音楽や山岳地帯の伝承音楽、ゴスペルなどをベースにしたオリジナルを歌って、まさに「カントリーミュージックのルーツ」を作り上げた興味深いファミリーバンドです。
現在のカントリーだけに限らず、アメリカの音楽の独特の美しいハーモニーへの影響も大きいですね。
ギターでも、革新的な奏法のベースラインやメロディを弾きながらコードストロークでリズムを刻むいわゆる「カーターファミリーピッキング」を作り上げ、後のスチールストリング・ピッキングの奏法のベースにもなってきます。
フラットピックを使う奏法とサムピック、もしくはサムピックなしで人差し指でストロークする奏法があり、前者を「チャーチリック・ピッキング」、後者を単に「カーターファミリーピッキング」と呼びます。
日本では、「なぎら健壱」さんが、詳しく説明されています。
「The Carter Family – Wildwood Flower」
この曲は、エミルー・ハリスさんやジョーン・バエズさんも歌っているので、オールドフォークソング好きの方なら知っている人も多いかもしれません。
「The Carter Family Country Hits – 33 Country Hits」
映画「O Brother, Where Art Thou?/オー・ブラザー!」
トミー・リー・ジョーンズさん、ハビエル・バルデムさん出演の、一風変わったサスペンスというか現代版西部劇というか、映画「ノーカントリー」で、アカデミー賞を受賞した「コーエン/兄弟」監督がいます。
ミレニアム2000年のドタバタコメディ映画「オー・ブラザー!」では、アカデミー賞受賞は逃しましたがエントリーされ、グラミー賞ではサウンドトラック版がアルバム賞を受賞しています。
ジョージ・クルーニー主演で、ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」を原案にしたコメディですが、音楽はまさにアメリカの音楽/特にカントリーのルーツを感じるのにピッタリの構成で、T=ボーン・バーネットプロデュースのサウンドトラックは何と全米で700万枚以上売り上げています。
以前グラミー賞時のパフォーマンス映像もありましたが、著作権の関係だと思いますが、残念ながらフルバージョンの動画は観られなくなっています。
アルバムには、日本でも良く知られているルイジアナ州知事だったジミー・デイヴィス作、元々は選挙のキャンペーン・ソングの「ユー・アー・マイ・サンシャイン/ノーマン・ブレイク」やジミー・ロジャースの曲も収録されています。
「Didn’t Leave Nobody But the Baby/Down from the Mountain」
エミルー・ハリス、ギリアン・ウェルチ、アリソン・クラウスさん
「O Death」/ラルフ・スタンレーさん
アパラチアの山岳地帯の伝承民謡の感じです。
「Man Of Constant Sorrow 」
Alison Krauss & Union Station
映画「O Brother, Where Art Thou?/オー・ブラザー!」の「ジョージ・クルーニー」さんの歌は、UNION STATIONの「ダン・ティミンスキー」さんの吹替ですね。
「Man Of Constant Sorrow 」バリエーション!
「Bob Dylan」さんも歌詞を変えて歌っていますが、PPMの「SORROW」も多分原曲かな?
全く違う雰囲気にしてしまう、アーティスティックな感性がそれぞれ見事です。
「ボブ・ディラン/Man of Constant Sorrow Bob Dylan」
「Man of constant sorrow- Peter Paul and Mary」/ピーター・ポール&マリー
この古い曲を、最新の「The Voice 2015 Blind Audition」でも新しい解釈アレンジで歌う辺りがさすがアメリカという感じです!
審査員というかトレーナー?:マルーン5の アダム・レヴィーン、ファレル・ウィリアムス、クリスティーナ・アギレラ、カントリーのブレイク・シェルトンさんの4人
The Voice 2015 Blind Audition
– Sawyer Fredericks:「I Am a Man of Constant Sorrow」
「Blackberry Smoke 「Man Of Constant Sorrow」
エレクトリック楽器の時代へ!
アコースティック系のカントリー・ブルースから、一気に音響機器進化で大音響ブルース・ロック系に飛び出したのはやはりこの曲でしょう。
クリームの初期は、ブルース色が強くてエリック・クラプトンがこの曲を取り上げ、当時度肝を抜かれた印象的な曲でした。
クロスロード伝説!
アコースティック・ギター一本でブルースを弾き語りして、アメリカ大陸中を渡り歩いた。
当時の聴衆はギターのテクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して、その引き換えにテクニックを身につけた」という伝説が広まった。
これがジョンソンにまつわる「クロスロード伝説」である。出典:ウィキペディア参照
生涯に残したレコーディングは、2回の合計29曲(42テイク)だけである。
出典:ウィキペディア参照
超貴重!「ロバート・ジョンソン/Robert Johnson- Crossroad」
「クリーム/CREAM Crossroads」 1968
イギリス人である、エリック・クラプトンさんの最初参加していたバンド、「ルースターズ」はオルタナ・カントリー系だったと思います。
エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーさんの3人で作り出すパワフルな「クロスロード」は、たぶんギター好きの方なら一度は、聞いたことがあると思います。
大音響のロックでのインプロビゼーション・アドリブ、は圧巻です!
カントリー歴史”感”まとめ
アメリカの都会では、ボブ・ディランさんのように当時アイリッシュ・ケルト系音楽の移民の人達の伝承・民謡・オリジナルをライブで聴く事ができて、「チーフタンズ」のようにアイルランドの地元のバンドもグラミー賞をとるほどの人気があったので、いろいろ聴くことが出来ました。
一方、アパラチア山脈などの山岳地帯や田園地帯ではカントリーのベースとなるアイリッシュ・ケルト系音楽が、独自に地元の伝承民謡や黒人ブルースなどと融合しながら「ザ・カーターファミリー」やカントリー・ブルースの「ジミー・ロジャース」などから広がってさらにいろんなジャンルへ進化していきました。
「チェット・アトキンス奏法」も、もしかしたら「ザ・カーターファミリー」がいなかったら確立しなかったかもしれなかったほどの、影響力でした 。
「ザ・カーターファミリー」の音楽は、反戦ソングなどのフォークソングのジャンルへもつながりましたが、ブームは戦争終了である程度落ち着いていきます。
チェット・アトキンスさん周辺
「チェット・アトキンス/Chet Atkins – Mr. Sandman」 (TV 1954)
「チェット・アトキンス」さんの最初の先生は、ラジオから流れるマール・トラビスさんやレス・ポールさんなどだったようで、その後アンドレス・セゴビアさんやジャンゴ・ラインハルトさんなどからも影響を受けています。
「Merle Travis, “Cannonball Rag” (Western Ranch Party, 1958)」
「レス・ポール/Les Paul & Mary Ford Show: World Is Waiting For The Sunrise」
日本人ギタリスト「寺内タケシ」さんのメンター的なギタリストさん。
ジャンゴ・ラインハルトさん:親指がないとは思えない、素晴らしい音楽をギターで聴かせてくれます。
「ジャンゴ・ラインハルト/Django Reinhardt & Stéphane Grappelli – Jattendrai Swing 1939 – LIVE!」
「Tárrega: Memories of the Alhambra, Segovia (1955) タレガ アルハンブラ宮殿の思い出 セゴビア」
「Segovia Plays Danza in G /Granados」
現在のクラシックギターの礎を築いた「アンドレセゴビア」さん、脈々と受け継がれています。
「Ana Vidovic plays Asturias by Isaac Albéniz on a Jim Redgate classical guitar」
「Tommy Emmanuel/トミー・エマニュエル」さん
マークトラビス、チェット・アトキンスさんからの流れ!
日本の夏の「フジロック」でも、数年前見かけましたが、そこからの広がりでしょうか、いつの間にか若いギタリストさんもたくさんファンが増えたようです!
抜群のスキルとセンスが光ります!
「Tommy Emmanuel Live At Sheldon Concert Hall St Louis」
「ワンマンバンドこそわが人生 | トミー・エマニュエル | TEDxMelbourne」
オーストラリア人ギタリスト
カントリー・ロック時代への幕開け!
ウッディ・ガスリーさんなどの流れからは、ボブ・ディランさんなどがフォークソングから一歩抜けだし、カントリー・フォークのジャンルにつながり、更に楽器もアコースティックからエレキに持ち替えられてカントリー・ロック時代が始まります。
彼は歌詞で、アメリカの音楽/ポップスに貢献し大きな影響を与えたことで、ピューリッツァ賞を受けています。
カントリー・ブルースも、アコースティックからエレキになり、本格的なブルース・ロック時代がはじまる。
一方、カントリー・ミュージックは独自の路線で、前にも書きましたが保守的なのに大衆文化なので、いろんな音楽を吸収し融合しながら進化し、現在のカントリースタイルを確立していきます。
カントリー・ロック時代への幕開けとなったと思われる、ボブ・ディランの9作目のカントリージャンルのアルバム「ナッシュヴィル・スカイライン / Nashville Skyline」より。
アルバムはジョニー・キャッシュもゲスト参加して、8作目「ジョン・ウェズリー・ハーディング」辺りから強くなっていた、カントリー色が前面に出てカントリー・アルバムになっています。
この時のボブ・ディランの声は彼独特のしゃがれた声と違うと感じられるほど素直な声になっていますが、高校時代の頃はこの声質だったようで声質を自在に使い分けられるようになっていったと本人も語っています。
「Bob Dylan feat Johnny Cash – Girl from the North Country」
チーフタンズの「Long Black Veil」は、ザ・バンドのデビュー・アルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク/Music From Big Pink」にも「The Weight」「 I Shall Be Released」などと収められていますが、オリジナルメンバー4人がカナダ人なので東岸はケルト圏でもあったこともあり、アイリッシュ・ケルト系の音楽も子供の頃から触れる機会は多かったのだと思われます。
「ザ・バンド/The Band The Weight」
「ザ・バンド/The Band: I Shall Be Released (The Last Waltz)」
ボブ・ディランさんも参考にしていた、ニューヨークの アイリッシュ・ケルト系「The Clancy Brothers & Tommy Makem」と同様に、ザ・バンドもアイリッシュ・ケルト民謡にもインスパイヤーされていたと想像できます。
「Bob Dylan – Knockin’ On Heaven’s Door (Audio)」
アイリッシュ・トラッドまとめ!
なかなか情報が少ないのですが、NAVERまとめが終了する前に、「アイルランドのミュージシャン~ケルトミュージック」で、詳しく紹介されていたので引用させていただきました。
出典:http://matome.naver.jp/odai/2138614171219459201
グラミー賞ノミネート9回、6作品計7回受賞の「The Chieftains/ザ・チーフタンズ 」。
「チーフタンズ」は、パブで演奏されていたケルト音楽を近代的なアレンジにし、コンサート・ホールで楽しめるように発展させた。
カントリーの源泉音楽もいろんな形で継承されています。
1962年結成で、主要メンバーが何人か亡くなっていますがアルバムは、40枚以上リリースされ2017年現在も活動中。
共演者が興味深く、ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー、スティング、ジョニ・ミッチェル、ライ・クーダー、エルヴィス・コステロ、ヴァン・モリソン、パヴァロッティ、ロンドン交響楽団などと幅広いですのでファンも多いようです。
アルバム「The Long Black Veil」 では、ミック・ジャガー、シンニード・オコナー、スティング、ヴァン・モリソン、ライ・クーダー、トム・ジョーンズらと共演し、ノンクレジットでボノもコーラスで参加し、ミック・ジャガーが生真面目に歌っています。
「チーフタンズ」のミック・ジャガーフューチャリング「The Long Black Veil」。
「‘Long Black Veil’ – The Chieftains featuring Mick Jagger」
「The Levon Helm Band – Long Black Veil – 8/3/2008 – Newport Folk Festival (Official)」
「Maura O’Connell with Karen Matheson」とボブ・ディランがアイルランドの古歌を参考に曲作りした「The Clancy Brothers & Tommy Makem」、エンヤの兄弟とおじさんたちのバンド「Clannad/クラナド」。
「CLANNAD-Theme from Harry’s Game」
「The Clancy Brothers & Tommy Makem」
まとめ
今回も少し長くなりましたが、下記前般の補足で初期の動画を少し集めてみました。
数十年前ですので映像も古いですが、カントリーミュージックの源泉の一部が垣間見えて楽しいでした。
次回は、カントリーミュージックの第1世代~第4世代と第5世代・第6世代の歴史の一部を動画でまとめてみたいと思います。
【興味深い「カントリーミュジック」NO.2動画編前半】「テイラー・スウィフト」さんもカントリー、日本では知られていない魅力と起源!
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